「これからの科学リテラシーを考える」

というシンポジウムに18日に参加してきた。
(主催者:東京大学生産技術研究所 知の社会浸透ユニット)

13時開始の講演会の後、パネルディスカッション、そしてその後懇親会があり結局20時過ぎまで続き、最初から最後まで参加した僕にとってはとても長い一日であった。

一市民として、いくらかは科学に対しての知識(リテラシー)がなければならない。
という考えのもと、ではどうすれば科学の知識を得ることができるのだろうか。
ということを論ずる会である。

なぜ科学リテラシーが必要かというと、それは現代社会における、いかにも科学的根拠があるかのように見せかけるウソを嘘であると見抜けるような能力が必要だからである。
ひところ、某民放テレビ番組の影響で日本中に蔓延してしまった「マイナスイオン」という、いかにも科学的裏付けがありそうで、全くScienceでは定義されていない言葉を創った上、それが健康にいいかのように言って国民を騙したことについては今でも憤慨している。
納豆ダイエットの偽装でも騙された人が多かったわけだ。

これは、一種の詐欺であるが、これに騙されないように国民が全員一定の科学的思考力を持たないといけないのだ。
しかし、現行の教育過程ではむしろScienceと乖離した、というかほとんど中身のない理科を教えているだけにすぎない。
これでは科学リテラシーが育たない。

このようなことをテーマにしたシンポジウムだった。

講演者は
・北原 和夫(国際基督教大学教授/東京工業大学名誉教授/物理チャレンジ・オリンピック日本委員会委員長)
・滝川 洋二 (NPO法人ガリレオ工房/東京大学)
・元村 有希子 (毎日新聞社)
・清原 洋一 (文部科学省)
・渡辺 正 (東京大学生産技術研究所教授/高校化学グランプリ委員長)
と、すごい方々がいらした。

ちなみに、渡辺正研究室では前学期ずっとUROPという授業を通して研究をさせて頂いた。
また物理チャレンジ、化学グランプリで高校時代から北原先生、渡辺先生にはお世話になっていた。

今回のシンポジウムは日本の今後の文科省の教育制度について考えさせられるいい機会となった。
北原先生は、科学リテラシーの必要性やどういうことが欠如しているのだろうかという大枠を述べられ、またご自身の英国での経験を交えての他国との教育の比較を明快に述べられていた。
元村氏も、先月(9月)まで一年間英国へ社費留学されていたそうで、その経験を交えた内容だった。
英国人は日本人よりか何倍も科学関連の講演会やフェスティバルに積極的に参加するような風土が育っている一方、英国特有の階級制度の下位に属する人はあまり科学に接することができていない、という現状をうかがった。

滝川氏は。。。
ガリレオ工房という所属している方だ。
実は、僕の小学生のころ所属していた科学技術館のサイエンス友の会の仲間から見れば、もっとも対極に属する人々でどうもとっつきにくい。
当時は、サイエンス友の会も同じ科学技術館5Fのワークスという部屋で研究をすることがあったが、小学生ながら彼らのことを敬遠していたのを覚えている。

実験ネタとしては面白いのだが、一過性の面白さしかないように感じられるところが残念だ。
もちろん、ガリレオ工房に属する先生方の中でもO先生という方(かつてNHKやってみようなんでも実験などでも出演されていた方)の教育方針は素晴らしいもので、小学生のころから結局物理チャレンジの時まで長い間お世話になった先生もいるし、素晴らしい人も数人いる。

でも、やはり講演を聞く限り、あまり内容が響いてこないように感じた。
なぜかというと、彼らの目指すものは、科学を面白いと思わせること、に尽きているからだ。
一見善いことをやっているように見えるから恐ろしいのだ。

確かに彼らの教材を組み立てたり改造したりすることで、いままでは考えられなかったような面白い発見が得られるかもしれない。
しかし面白いだけしかないのだ。
玩具を用いて遊ぶように。

科学というのは、不思議に思ったことに対して、それを検証するためのアプローチ(例えば実験装置などを開発することなど)から始まる。と思う。
もちろん、実験装置を製作することほど大変なことはない。
一方実験はどうか、実験は意外とあっさりと済んでしまうものなのだから。

そして、実験で何か結果が得られて、ただ喜ぶようではだめなのだ。
Scienceはその先に、実験結果を数値に読み換え(測定)、データを検証し、仮説を裏付ける、という一連の流れまでをしなくてはならないからだ。
そこまでいってやっと大きな喜びが得られるわけだ。

・・・・
まぁ、実際には彼らがどのような教育方針でやっているのかははっきりとはわからない。
ちゃんと科学の本質に根ざした企画をしているのかもしれない。
そもそもこんな場所で彼らのやってることを批判したところで意味がないのだが。

エセ科学を教える団体は日本にたくさん多い。(しかも大概は教える側も科学を教えているのだと勘違いしているのだが。)
彼らを批判するよりも何よりも、まんまと彼らの甘言に誘われて子供がエセ科学に侵食されていることに、無批判でいられる異常ともいえる親の科学リテラシー欠如が問題なのかもしれない。と感じた。

そして、文科省清原氏vs渡辺先生
両者の争点は学習指導要領についてだ。

文科省について。
まぁ、思っていた以上には文科省は理科教育について検討していたことはわかった。
以前よりは、若干マシにはなるだろう。
でも、所詮教科書指導要領が一部さし変わったこと、そして理科教育の目的が先述した科学リテラシー向上に依拠したものに変わる(つまり、エセ科学に騙されないようにしよう)ということ。

一方渡辺先生は高校化学の教科書の編纂なども受け持たれているわけだが、日本の学習指導要領の成立自体に疑問符を投げかけていた。
初めて知ったことだが、教科書指導要領の策定改定は非公開に実施されているらしい。
教科書編纂者である彼でさえもどんなに請求したところで指導要領の策定の内容を全く見れないとのこと。
たしかにおかしい。
科学リテラシー向上のためには全員がちゃんと身に付けなければいけない知識などを考慮検討する必要もあるわけだが、一方将来研究者であったり企業で活躍することを志すような人間にとって必要な知識も教科書に盛り込まなければならない。
なのに、先端研究についての知識が集結している学会などの意見を全く参考にしないのはおかしい話である。

先日数理科学研究科の加藤先生の所へ伺った際に聴いた話であるが、高校の数学の内容が少なすぎて大学人としては困る。とのこと。
彼が高校のうちに身につけるべき内容としてはテンソルの二次形式などを挙げられていた。
確かにこれらは大学に入ったら必要になるはずだ。
なのに高校で教えない。

やはり、渡辺先生のおっしゃるように学習指導要領の策定には各学会や専門家に意見を問う場を設けてもいいのではないだろうかと思われた。

全体として、このシンポジウムは「どのように青少年(という表現を使うと自分も含まれるので複雑な気持ちだが。:笑)に国として科学リテラシーを身につけさせるか」というようなテーマだった。
でも、もう一つ重要なこととして青少年に教育をする学校教育関係者や、親の科学リテラシーを上げることを考えなければならないだろう。
いくら素晴らしい教育理念があろうと、教育者が習熟していなければ全く意味がないからだ。

学校関係者や親の科学リテラシーを向上させるには、一世代入れ替わるくらいの長いスパンで考えなければならない。
もっと、教育者への科学リテラシー向上についての議論も活発になっていく必要がありそうだ。