稜の日記

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2005年4月(高校一年)

科学力 2005/04/05
小学校のときからのサイエンス系の数人の友達と、みんなである科学館に行ってきました。
やはりサイエンス系の友達は、目の付け所が細かいな、と感じました。(その科学館で普通の人と同じく遊んだりもしましたが...)
長いときには30分以上も一つの展示にこだわったりすることが何度か見られました。

ちょうど、その科学館では理科実験系のコンクールの作品展示会が開催されていました。
そこでも、そのメンバーで作品を見たりしましたが、その実験の動機から最後まで、細部まで注意して作っているなぁとおもいました。



『理科離れ、理科離れ...世の中では叫ばれつづけています。
今日の様子を見たところ、理科離れどころか全国には沢山の理科的考察力を十分に発揮できる人がいると感じられました。


では、どのような点で、その「『理科離れ』している人」と、「理科的考察力を十分に発揮できる人」との違いが生まれてしまうのでしょうか?

科学というのは、とても細分化されています。
でも、その細分化された科学の共通点というものを考えてみると、『見る』という力が必要になってくるのではないかと思いました。
観察したり、問題を見つめたりと...
同じ場所に、ずっといたりしていないといけないことです。
つまり、集中力が必要だということ。
科学をしていく上で・科学的思考をしていく上で...もっとも大切なのは『集中力』ではないかと。

確かに、そう考えてみると、今の人たちは何についても急ごうとして、たまに立ち止まったりして、じっくり物を考えてみたりします。
子供たちにおいても、ゲームや漫画などの集中力をさほど必要としていないことを好む傾向があるように思えます。

今日思ったことは、これからの日本は集中力をいかに養わせることができるかということが課題になっていくのではないでしょうか?


(今日は、急いで書いたため、いつも以上に読みにくい文章でご迷惑をおかけしました。)


龍安寺 No.1(旅行その6) 2005/04/06
ゆっくり日記のために費やす時間がなく、ぜんぜん旅行のことを更新できませんでした。

これからも、こうなっていってしまうのではないかと思いますが、この日記を読みつづけていただけたらうれしいです。



今日は、前回に金閣寺について書いたのに続いて、龍安寺について書きます。

まず、この寺の名前は「りゅうあんじ」ではないです!

「りょうあんじ」です。

(僕もそうだったが、)初めて京都を訪れた人などは、よく読み間違えます。

なぜ、「りゅう」ではなく、「りょう」と読むのかについては、後で触れます。

龍安寺庭園



龍安寺というと、もっとも有名なものは、方丈庭園です。

龍安寺は、場所が少し離れているものの、臨済宗妙心寺派の寺です。

禅宗の庭園というものは、本当に見事なものだと思いました。

庭園の微妙な狭さと、方丈が、ちょうど良く調和していたような気がします。



上の写真は、その方丈庭園の写真を載せておきます。



この龍安寺では、特別公開がありました。

それは、龍安寺の雲龍図(うんりょうず)です。

今回の旅行では、臨済宗派の寺ではどこでも雲龍図があったように思われます(常識なのかもしれないが・・・)。

この雲龍図は、とても大きく、色も鮮やかでしたが、龍安寺のほうで、国宝と同じだけの価値があるとの判断がでたため、撮影は禁止になっていました。

ただ、拝観受付の後ろ側にあるのれんの雲龍図の写真だけは撮っておきました。

それが、右の写真です。



先ほど書いた、龍をりょうと読む理由という事の理由とは、昔中国で、りょうと呼んでいたのを日本に来てからりゅうと読むようになってしまったからだそうです。

だから、正式名称などの場合には、「りょうあんじ」や「うんりょうず」といった具合になるのだそうです。

間違えて、「りゅうあんじ」とか「うんりゅうず」と呼んでしまっても、いいのかもしれませんね。



また、龍は空想の動物です。

この龍が、何をモデルにして描かれたのでしょうか?

そう思ったことはないでしょうか?

係りの人に
聞いてみたところ

うろこ
⇒鯉
⇒牛
ひげ
⇒ナマズ
⇒鹿
あご
⇒ワニ
⇒鷹
胴体
⇒蛇
 


なのだそうです。

本当に様々な動物から創られた空想上の動物なんですね。

様々な動物の特徴を持ち合わせた龍は何類の動物なのでしょうかね。

魚類兼両生類兼爬虫類兼・・・ ということになりかねないですよね。



今日は、すこし時間がないので、また明日続きを書くつもりです。



龍安寺2 (旅行その7) 2005/04/14
今日は、前の龍安寺の話しの続きです。

龍安寺は、石庭だけでなくつくばいも有名です。
今回の特別公開では、その本物のつくばいを見られました。
それが、左の写真です。
普段の、特別公開をしていないときにも、方丈の裏につくばいがあるのですが、実はそのつくばいは、レプリカだったのだそうです!

右の図は、そのつくばいの様子をあらわしたものです。
このつくばいは、徳川光圀からのものだそうです。
四文字が書いてありますが、ぱっと見ただけでは、何がなんだかわからないですよね。
実は、この四文字、真中の四角の部分を「口(くち)」としてみるのです。
そして、うえから順に右回りに読んでいくのです。
すると、「吾唯足知(われただたるをしる)」 と読めるのです。
一瞬見たところでは何もわかりませんが、実は禅の格言を図案化したものなのです。
このつくばいは、そういうことを考えながら見ると、とてもすばらしいものだと思えます。



方丈を出ると、今度は左手に大きな池が見られます。その写真を左に載せておきます。
龍安寺は、方丈やつくばいなどがとても有名ですが、僕はこの大きな池がとても印象的に思えました。
あと、その池の西のほう(写真左のほう)には湯豆腐や精進料理を扱う塔頭がありました。
塔頭は簡単に言えば小さなお寺のようなものですが、そこで料理専門に扱っている店(?)があるんですね。
そういえば、修学旅行で天龍寺に行った時にも、同じようなものを見ました。



また、右下の写真は池のおおきな木の写真です。
この木は傾いて生えてしまったからなのか、池の中から別の支えで支えられていますね。
龍安寺が細かいところまで大切にしている様子が感じられますね。
でも、いくら目立つ支えであっても、なぜか全体にうまく調和をしていたようにも思えました。
やはり、このような「調和」というのは禅宗ではとても大事にされているのだろうか?
(↑確かに、合氣道などでも大切にされている・・・。)

とても広い境内の龍安寺を出たら、京福電鉄北野線の天龍寺道駅に向かいました。

京福電鉄のことなどは次に書こうと思います。


粗大ゴミ 2005/04/17
ここでは京都奈良大阪の旅行の話とは別の話しを書きます。
僕が住んでいる所では、最も長い辺が30cm以上ある場合には粗大ゴミである。
という定義がなされています。
粗大ゴミの場合には捨てる際にお金を払い込まなくてはなりません。
ただ、30cm以下は無料に回収される資源ゴミとして扱われます。
つまり、いくら粗大ゴミであったとしても細かく分解してしまえば、お金がかからないということになるのです。
そして今回、フライパン二つと、動かなくなってしまった炊飯器を捨てることになりました。
フライパンも、柄の部分があるせいで有料になってしまうという事実があるのです。

まず、簡単そうに思えたフライパンの本体と柄の部分を取り外す作業をしました。
本当はボルトで固定されているだけなので、普通にはずせばいいはずなのですが、フライパンの熱で焼きついてしまってねじがあきませんでした。
ということで、仕方なく柄を壊して、中にあるボルトを万力で何度も曲げることにしました。
こうすることで、金属疲労で簡単に折れるのです。

ボルトのまわりは熱で酸化して真っ白い膜ができていました。
普通、ボルトは合金なのですが、その合金が酸化して膜をつくるということは初めて知りました。
ステンレスとかも錆びないって言っているけど、熱を加えると錆びてしまったりするのかもしれませんね(どうかわからないが)。

ただ、あの簡単なつくりのフライパン二つを分解するのにはとてもてこずり、疲れてしまいました。
あとで、炊飯器の分解について書きます。


携帯電話 2005/04/29
意外だと思う人もいるかもしれませんが、僕は高校で合唱部に入ることにしました。
僕の高校には、物理部、生物部、地学部があるというのに、なぜだか一番入りたかった化学部がないのです、
でも、僕は中学生のときから歌うことが好きだったので、合唱部に入ることにしました。
部活の雰囲気はとてもよくて、先輩もとても親しみやすいです。
実は、部長と副部長が小学校、中学校とずっと同じだったりします。 笑
また、合唱部とともに塾にも行っているので、中学校のときと同じくあまり頻繁に日記を書くことができないのではないかと思います。
まぁ、時間を見つけてはちょくちょく書いていきたいと思います。


最近の携帯電話は、著作権保護の動きからか、コピーガードが激しくなっているような気がします。
特にパソコンと携帯電話の間の通信はぜんぜん上手くいかないとおもいます。
たとえば、自分で楽譜から作った音楽を、携帯電話専用のケーブルから送ることができなくて、わざわざメールで送信をしないといけなくなったりしてしまうのです。

PDAとパソコンのあいだの通信などは上手くできたりするのですが、できれば携帯電話もそのような通信が上手くいくようになってほしいと思います。
そのためには、もう少し携帯電話にコピー防止の機能をつけることが必要だとおもいます。
携帯電話のコピー防止機能がつくと、パソコン側からのコピー防止の機能が解除されたりすると思うからです。

まぁ、それは時間の問題なのかなぁって思いながら、音楽のデータなどをメール経由で送信したりしています。 苦笑
今も、一つ音楽を作成しています。