今回の旅行で、ここ退蔵院だけは、往復はがきで特別拝観の予約をしていました。
それと同時にお抹茶の予約もしていました。
入り口から入れていただき、まずは「狩野元信の庭」というものを見させていただきました。
その庭のことについても説明してもらえました。
狩野元信は、室町時代後期の画家として有名でしたが、絵画を立体的にあらわそうとしてつくっていたのだそうです。
真中には、亀の形に配置された石組みがあったりしました。
今まで見てきたほかの庭園とは一味違い、本当に絵画的な雰囲気がよく感じられました。
また、昔の「都林泉名勝図絵」というものにも「画聖古法眼元信の作なり。他にこのたぐい少し」とも紹介されたそうです。
この図絵には庭の細かいスケッチも載っているそうなのですが、そこのスケッチの岩と見比べると、現在の岩は風化して沢山の細かい石に分かれている様子が見られろそうです。
退蔵院が建立されたのは応永11年(西暦1404年)だということなので、たったの600年で風化をしてしまったことがわかります。
あの硬い岩が、雨風のたった600年間ほどの影響で細かくなってしまうことにとても驚きました。
でも、庭園に運ぶ石は、できるだけ軽いものを使ったりしていたためにすぐに風化してしまったのかもしれませんけどね。
話によると、昔はこの庭園だけで周りは竹やぶだったそうなのです。
でも、昭和に入ってからその竹やぶで竹の花が咲いてしまい、後には急に竹林の竹すべてが黄色くしなびてしまって大変なことになってしまったそうなのです。
その話してくださった人もその当時から退蔵院にいらしたそうでその竹の花とかをみたそうで、詳しく話していただきました。
結局その竹林はすべて一掃されて、そこは新しく「余香苑」という大きな庭園になったのです。
この余香苑のことは後で書きます。
次に見せてもらったのは、退蔵院の茶室です。
昔、退蔵院では修行の妨げになってしまうとして、茶の湯は禁止していたそうなのですが、ある人がどうしても茶の湯をやりたくなり、密かに茶室を作ったのだそうです。
普通の茶室よりは小さいものですが、外から見てもぜんぜん違和感のないように設計されていて、ばれないように努力をしていたんだなぁと思いました。
中には「一」という一文字が飾られていました。
たぶん「一期一会」と同じような意味合いをもって、茶の湯の精神を表しているのではないかなぁとおもいました。
その茶室にじっと座りながら、昔の人はこんな感じに中庭を見ながらお抹茶などをのんでいたんだなぁと思いました。
そのつぎに、退蔵院で有名な瓢鮎図(ひょうねんず)を見ました。
これは、足利義持が「ひょうたんをなまずでつかまえるにはどうしたらいいか」といった問いに対しての様々な識者の意見と、人がひょうたんを持ってなまずを捕まえようとしている図がいっしょになったようなものです。
今は、なまずのことを鯰と書きますが、昔は鮎と書いていたそうです。
手前にあるものほど細かいところまで書いて、背景となっている山はおおざっぱにぼかして描くことによって遠近感をはっきりとあらわすという効果を生み出しているようで、遠近が上手く調和しているところがすばらしかったです。
お茶菓子とともにお抹茶をのみながら、庭園を眺めているのはとてもよかったです。
左にある写真は、そのお抹茶を飲ませていただいた部屋から庭を撮影した写真です。
この庭が、先ほど書いた余香苑というものです。
ここの庭園は中に道がついているために、様々な方向から眺めることができます。眺める方向によって庭園の雰囲気がぜんぜん違っていたのでとてもすごいとおもいました。
右にある写真は、その庭園の写真です。
一番全体像が見やすいのではないかと思う角度から撮影したのですが、やはりこれは足を運んでゆっくり見るともっといいと思います。
この写真もクリックをすると、拡大したものが見られます。
ここの庭園は、住職自身が毎朝、丹精こめて砂などの整備をしているそうです。
僕はてっきり他の人がやるのではないかと思っていました。
この庭園を歩いていると、途中の分かれ道のようなところの片方に左の写真のような張り紙がありました。
そこには「恐れ入りますが 工事の為 右側より通行して下さい 院主 合掌」と書いてありました。
このような張り紙に「合掌」とかかれていると、とてもその張り紙から「気」のようなものが伝わってくるように感じられました。
左にある写真は、退蔵院で見つけた写真です。
土壁にこのようにひょうたんのくりぬきが作れるんだなぁと思いました。
他にもいろいろ見た後に、バスで島津製作所をみてきました。
といっても、正門だけ見ただけです。
そこからは京福電鉄嵐山線に乗れるので、そこから二回乗換えをして、ホテルに一度戻りました。
退蔵院ホームページ