稜の日記

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2005年7月(高校一年)

夏至の日&七夕の日 2005/07/07
日記を書くにも、ゆっくり書く時間もないので、雑記&近況報告です。

七月に入って、初めての日記です。
気づいたら、六月二十一日の夏至の日を過ぎて、徐々に昼の長さが短くなってきたころです。
なんとなく昼の長さが短くなってきたことが体感できます。

最近はとても、僕は忙しいようで日記を二週間に一回ほどの更新しかできないような状況になっています。
小学生のころは、毎日書いていたのになぁと思います。
時間があれば、
「メルマガみたいなもので、自動的に日記を更新するごとに、購読者にメールが送られる」
といったものをつくれたらいいなとおもいます(そんなじかんあるのか!?)


ということで、今月から日本科学未来館というところのボランティアをはじめました。
展示解説などをしています。
行ってみると、僕がどこかにいるかもしれませんね(笑)


プロムジカ女性合唱団 2005/07/17
昨日、『プロムジカ(ProMusica)』という世界的に有名な女声合唱団のコンサートに行きました。
今月の一ヶ月だけで全国各地19公演もしてしまうというのはとても驚きです。
明日を含めあと5回公演があるので、興味のある人はおすすめです(チケット売り切れちゃっているかもなぁ)

僕が行ったのは、『ミューザ川崎シンフォニーホール』というホールです。
このホールは、去年七月一日(川崎市政記念日)にできたばかりの新しいものです。

僕の合唱部でも、先週と先々週に2回歌ったばかりです。

プロムジカのことを書く前に、まずはこのホールの軽い紹介から・・・・。
去年出来たばっかりでもあり、最新鋭の音響設備を備えているそうです。
実際僕たちが先週歌ったときにも、とても音が広がるのが感じられるのです。

2000人も入れるような大ホールであれば、別にひそひそ声や紙をめくる音くらいは問題ない、と思うと思います。
でも、さすがは最新鋭の音響設備!(笑)ちょっとした音でも、ホール全体に響き渡ってしまいます。
先々週は運良く音響調節のために、舞台でリハーサルを行えました。
そのとき「どれくらい響くのかな?」と思った僕は、軽く手をたたいてみました。
そしたら、予想以上にその音がホール全体に溶け込むように響くのです。
その音のとけ混みといったら、文章じゃ表せないほど気持ちよいものでした。
もちろん、合唱しているときに、自分たちの音がホール全体に溶け込んでいくのが感じられたのもかいかんでした。


もうひとつ、驚きだったのは、大ホールにあるグランドピアノはYAMAHAのものなのですが、市民交流室というミニホールのようなところにあるピアノはなんとSTEINWAYのピアノだったのです!!
もちろん、そのSTEINWAYのピアノを弾いてみましたが、その響きと言ったらとてもすごいものでした。
実は、その交流室のSTEINWAYのピアノでリハーサルをやって、大ホールのYAMAHAのピアノで本番の演奏をしたのでした・・・。


また、ここにはパイプオルガンがあります。
このパイプオルガンには、移動コンソールというものがあります。
意味はそのままで、移動できる鍵盤のことです。
パイプオルガンの前に座らずに、舞台にその移動コンソールをおいて、弾くことが出来るのです。
多分無線か何かでパイプオルガンを制御しているのだと思います。
最近のパイプオルガンはとても進化したんだなぁとおもいながら、本物のパイプオルガンの音色を初めて聞いて聞きほれていました(笑)


時間の関係で、明日プロムジカのことを書こうと思います。


プロムジカ女性合唱団 2005/07/21
日曜日に書く予定だったのですが、書くのが遅れてしまいました。

この合唱団は、世界でも1位をとるくらいハンガリーのすばらしい合唱団です。
これは、ほとんど音楽の知識がないような僕でもわかるような、透き通った音色でした。
プログラムには、
「※コンサートではホールのひびき、雰囲気、合唱団のメンバーの調子にいちばんふさわしい曲目を選んで歌います。一曲ごとにメンバーによる日本語の説明があります。」
とかかれているのです。
プログラムに書いてあった曲数は60曲以上あるのです。
そのうちから、一部を歌うのです。
それも、歌の最初にはお上手な日本語で司会を行うのです。
曲の中には、日本語の歌(特に民謡)も沢山ありました。

とっても、ハンガリーの合唱団の人たちは日本について研究したのだろうなとおもいました。
なぜなら、司会者の方が
「私達の日本語は下手ですが、それでも頑張って日本語の歌を歌わせていただきます」
とのようなことを言ったのです。
日本人にはあたりまえに思えるかもしれないけど、《謙遜》というのは、外国人にとってはとても難しい技術なのです。
それを上手く使いこなしていたなぁと思い、ハンガリーの人たちはみんなこんな感じに物事を努力して習得していくのだろうか?
ととても感動してしまいました。


またプロムジカは、ステージの上だけにこだわらず、客席の方まで来て客席と客席の間の通路にも並んで歌ったりもしました。
つまり、客席がステージからの合唱と後ろの通路からの合唱が重なって、ホール全体で響き渡っている雰囲気がより強調されてきこえるのです。

あまりの上手さに、本当に自分たちが歌ってて、それを合唱と言ってよいのかどうか?と切実に感じてしまいました。

本当に、曲自身の上手さだけでなく、ホールにあわせての曲の設定や、上手な日本語にもとても感動させられたコンサートでした。
とてもよかったです。
また来年もいけたら聴きに行きたいです。
それに、自分の歌にも磨きをかけていきたいと思いました。


首都圏交通麻痺 2005/07/29
今月の23日に、千葉県を震源地とした地震が起きたのを覚えているでしょうか?
震源地は千葉県北西部というのに、最も強い地震を感じたのは足立区だそうですね。
理由は、地盤がゆるかったかららしいです。

地盤がゆるいといえば、埋立地のほうがありえそうですが、今回は埋立地ではありません。

なぜなら、江戸時代前半(?)まで、利根川は東京湾に流れ込んでいました。
それを、幕府が大規模にも利根川の進路を変更していまの利根川の進路に変更したそうです。(以上、学校の地理の授業より)
そのため、昔に利根川の流れていた場所や、その周りの水を沢山含んだ土地が今でもゆるいそうなのです。

今回の地震ではこのゆるい地盤のところが大きく揺れたと考えられたそうです。


さて、この地震の日に僕は何をしていたかというと・・・なんと!千葉大学に行っていた!のです!
なんでわざわざ千葉大学に行っていたかというと、ここで開催された数理科学コンクールというものに参加していたからです。

このコンクールは、意外なもので5人までならばグループで参加をすることが出来るというものです。
だから、北の丸公園にある科学技術館の『サイエンス友の会』の、小学生のときからの仲間で行きました。

朝の10時から午後4時まで、合計6時間もの長丁場のコンクールでした。
大問は4つだけで、すごく悩まされる問題ばかりでした。
といっても、高度な知識は必要ではなく、探究心、集中力、発想力をはかるようなものでした。
ずっと悩みながらといていたけど、意外とあっという間に時間が過ぎてしまいました。
問題の中には工作をしながら考察するような問題などもありました。

結果はどうであれ、とてもよかったとおもいます。


そして、千葉大学をでて、最寄の西千葉駅につきました。
西千葉16時34分発、三鷹ゆきの総武線各駅停車に乗りました。
今考えてみると、ホームに上って少ししたら、急にせみが鳴くのをやめたように覚えています。

その電車の椅子は、ちょうど座れました。
そして、駅を発車して100メートルくらい進んだところで、まず異変に気づいたのは僕でした。
最初は突風が吹いて車体が揺れているのではないだろうかとおもいました。
なぜなら、架線(電線)が大きく風にあおられたように揺れていたからです。

その話を友達にした途端、電車は急ブレーキをかけて停車しました。
僕は直感的に地震だと判断しました。
それ以上に、友達の発言が裏づけになりました。
「あそこの家の上で、瓦を張っている人が急に慌てだした!」
という、発言・・・(笑)

そのあと、2回は僕たちも、大きな揺れが連続してやってきたのは感じました。
あとに知ったのですが、4回揺れがあったそうですね。


日本の鉄道の常識で、ドアを開けて線路に人が飛び降りるのを防ぐため、最徐行運転をしつつ、次の駅に向かうということがあります。
せっかく、今出た西千葉駅が目の前だというのに、バック出来ないのは、何か理由があるそうなのです。

どちらにしろ、乗っていた電車は隣の稲毛という駅まで最々徐行(?)の25km/hで向かいました。
結局稲毛駅には40分近く停車しました。



稲毛駅は、総武線各駅停車だけでなく、快速電車も停車します。
だから、合計4つのホームがあります。
まず、そのうちの快速電車千葉方面に止まっていた列車(1635稲毛発上総一ノ宮行き)に驚かされました。
前一両と、二両目の一番目のドアまでは、発車した間際だった為かホームから飛び出していました。
でも、二両目の二番目のドアから後ろはホームに入っているため、それだけが開放されていました。
考えてみれば、わかるものですが、普段全部のドアがまとめて開く様子を見る人にとっては一部のドアだけ開いているというのは意外なことでした。

そのときに入った情報が、四ツ谷・幕張本郷間の中央・総武線は運転見合わせということでした。
自分たちは津田沼の手前で立往生をしているのでどうしようもありません。
ちなみに、総武線が一番首都圏の路線で打撃を受けてしまったそうです。


こういう災害時は、
1. 線路に立往生をしている列車を最寄の駅に移動させて、場合によっては乗客を降ろす

2. 線路や橋げた、架線などの点検をする

3. 乗客に正しい情報を伝える

4. 代替路線や、バスを用意したり、あまった特急列車などを座ったりするために出す

などのことが必要になってくるのではないでしょうか?
今回は、大規模な災害のため、4. がほとんど機能していなかったように思えます。


稲毛駅では、千葉方面の快速列車は被害の少なかった千葉南部に送り込むためにどんどん最徐行で発車させてゆきました。
そして、東京方面の快速列車は回送にしていました。
多分運休区間などに空の車両を送り込むなどの作業をしていたのでしょう。

僕たちの前にいた列車も回送にして運休区間に押し込んだのだと想像できるのですが、運転区間のギリギリ先の幕張まで電車を進めることが出来ました。
普段なら、8分ほどでつくはずの区間をちょうど60分もかけて移動をしてしまいました。


幕張駅の向こう側を走る総武線快速の線路には回送になった列車が、運休区間のほうにどんどん流れ込み、また各駅停車は、幕張・千葉間折り返しで運転していました。
ただ、運がよかったのか、僕たちの乗っていった車両はずっと幕張駅で待機することになり、ずっと椅子に座っていることが出来ました。

駅前の人は沢山、商品はほんの少ししかないコンビニに買出しに行って、4人分の食料を軽く買ったりして、時間をつぶしていました。

その間に、津田沼・上野間の京成本線は回復したとの情報がありました。
ただ、幕張から津田沼まではまったく足止めされた状態でした。

総武線は、高架が多く各駅停車と快速列車ようの線路がそれぞれある複々線の状態なので、検査に時間がかかるとみていました。
駅に流れるアナウンスも、「まったく回復する見込みが立っておりません」とのことでした。

一刻も早く、京成千葉線が回復するのを願っていました。



そして、午後9時ごろに京成千葉線が回復したという情報が入りました。
同じ電車内に4時間半近くも閉じ込められてしまっていた計算になります。
本当に大変でした。

そこからは、幕張駅で記念にもらった100分間の遅延証明書と、振替輸送票を片手に、呼吸が出来なくなりそうになるほどの、朝のラッシュでも体験できないようなラッシュ列車に乗り込みながら家に向かいました。

家に着いたのは12時ごろ・・・。
予定では6時ごろにはついている予定だというのに、予想外の乗り換えの時間がかかったり(道路を埋め尽くす人々がいたから)したために大変なおもいをしてしまいました。


遅延証明書は記念にもらえたのですが、やはり振替輸送票は記念に・・・というわけにはいきませんでした。
あの厚みのある振替輸送票にはとても魅力を感じていたんだけどな・・・。


でも、とてもいい経験になりました。
それにしても、初めて京成電鉄や、総武線(錦糸町以西)に乗ったというのに、こんな記憶に残るような経験をしてしまったなぁとおもいました。




でも、まだ首都圏の交通網はちょっとした事で麻痺しやすいようになってしまっています。
本物の大地震が来る前に何か改善策を考えなければなりませんね・・・。
線路の状況や架線の状況を瞬時にチェックできる電気軌道総合試験車を増やせたりするといいのではないでしょうか?


でも、大地震は出来れば来ないでほしいですね。

皆さんは、避難場所とか、防災用具の準備、家具の転倒防止などの対策はだいじょうぶですか!?