理論物理学とノーベル賞

昨日は2008年ノーベル物理学賞が南部先生、小林先生、益川先生が決定したことで盛り上がった。
本日も化学賞に下村先生ら3人に受賞することが決定したらしい。
ノーベル賞は毎年恒例のことではあるが、受賞研究の内容は、(あたりまえではあるが)とても素晴らしいと思う。

今年は、日本生まれが4人(以上)。
ただ単に同じ国民である、というだけのことであるが、やはりすごいことだ。
と言えども、科学研究は国際協力が欠かせない。
日本人が受賞したからといって、度を過ぎて「同じ日本人」として誇りに思ったり、自分のことのようにうかれすぎてもいけないなぁとも個人的には思ってはいる。
(あまりニュースでのインタビューなどに答える人が、何も実態も分からないままにインタビュアーにのせられて、喜んでいる様子は個人的には見ていて快いものではなかった。)

しかし、日本人がノーベル賞受賞することでいいことが無いわけではない。
まず、言語が同じこと。
論文などを読むのは英語であるので、(今の僕には)すらすらと読めないのだが、受賞者は日本語で講演を行ったり、日本語で書かれた本を出版している。
容易に研究内容の深いところまで知ることができるのがとても嬉しい。
講演会等があればいってみたいものだ。

さて、残念ながら化学賞を受賞された下村脩先生は恥ずかしながら全くどのような先生かを知らない。
勉強不足である。
GFPと呼ばれる蛍光蛋白質(紫外線などを照射すると特定の色に光る蛋白質)を発見されたらしい。
夏学期の生命科学の授業ではGFPを利用した手法をいくつか聞いたのだが、具体的にどのような仕組みで、またどのような場合にどう用いるのか、などについてはよく分かっていない。
残念だ。

しかし、ここでは物理のことを書きたい。
3人の受賞者は物理を志す人の間では大変有名な理論物理学研究者である。
物理を専攻する人は知らない人がいないと言ってもいいほどだ。
と言っても、素粒子研究の理論は理論物理学の中でも極めて理解が難しい(らしい)。
それは理論物理は数学を用いて、世界を記述していくわけだが、当然のことだがその数学が極めて難しいからだそうだ。
だからこそ、このように難解な素粒子理論でノーベル賞を受賞されるのは本当に貴重で素晴らしいと思う。

実験により確立された理論はまだしも、殆どわずかなデータ(実験誤差のように見えるわずかな違いなど)から壮大な理論を構築したものは、すぐには受賞にはなり得ない。
今回の受賞内容はこのような意味で壮大な理論である。
論理的に欠陥がなく、素晴らしいと思われる理論でも、実験による裏付けがなければ成立し得ない訳だ。

益川先生の話によれば、実験で自分の理論が裏付けされた時が最も嬉しかったらしい。
受賞決定直後のインタビューは落ち着けないものだろうが、あまりノーベル賞は嬉しくないと言ったのは、むしろそれ以上の喜びを実験による自論の裏付けで得ていた、という意味なのだろう。

そういう点でやはり理論学者に対してどのタイミングでノーベル賞を与えるかはノーベル財団自身も悩んだことなのではないかと思った。
実験による理論の裏付けがなされたとしても、その実験が正しいかどうかを判断する必要もあるだろうし、手間取って、受賞のチャンスを逃してしまっていたのだろう。
今年は、LHCというスイスの世界最大の粒子(陽子)加速器が稼働した年でもあり、(といっても故障で、現在停止中らしいが。)素粒子物理学においては一つの大きな節目が得られそうなところである。
だから、今年をチャンスと考え、素粒子理論学者の3人に受賞を決定したのではないかと思う。
(昨日同様のことを先輩であるT.N.さんも言っていた。)

僕が素粒子論に興味を持ち、彼らの業績を知ったのは中学生の時に読んだ本だったであろうか。
それ以来、ノーベル賞受賞者が発表されるたびに彼らの名前が挙げられないのに不思議に思っていた。
他にも素晴らしい研究をされた理論研究者はたくさんいる。
しかし、ノーベル賞が受賞されるのは理論を発表した直後でなく、実験などによる裏付けが得られるまではお預けのようだ。

そういえば、先日(9/22)に大学の友人3人と東大駒場キャンパス数理科学研究棟内の加藤研究室にお伺いした。
加藤先生のご専門も素粒子理論をはじめとした内容の理論である。
お話を聞きに行った3人とも、まだまだ素粒子理論について全くと言っていいほどわからないので、先生には大変ご迷惑をかけてしまったかも知れない。
しかし、理論系研究室を実際に見たのは生まれて初めてである。
実験系の研究室や工学系の研究室ならば今まで何回か伺ったこともあったが、理論系の研究室は今までの印象とは全く違う。
まず、研究室が整然としている(笑)

書棚には理論系の本がびっしりと並び、論文を入れるらしき棚もあり(中までは見ていないが)資料が沢山あるのだなぁという印象を受けた。
しかし、「理論学者は紙と鉛筆(と計算機)さえあれば研究ができる」といわれている通り、研究者は黙々とさまざまな仮説を提唱しては証明、失敗という試行錯誤を繰り返しているようだ。

前回お伺いしたときは、話をしている途中から先生が学部一年生の我々に物理を教授し始めてくださり、ちょっとしたセミナーのようになってしまった。
100%理解しきれなかった自分の勉強の足りなさには情けなく思いつつも、とても面白い話を聞けた。

彼は、物理学者ながらも数学者であり、数学的側面からの物理学の理解が重要であると教えてくださった。
どんなに複雑な物理法則があったとしても、実は数学的な側面から見たら単純であったりする、というわけである。
しかし、単純といってもその数学の側面を理解するのには、相当量の数学の習得が必要なようだ(笑)

そのためには高等教育の数学の内容をもっと考えるべきだとも、おっしゃっていた。
確かに高校数学の指導要領は学問が発展し続けているのに対して昔から殆ど変っていない。
現行のままだと大学に入ってから数学の内容に苦労するわけだ。
微分積分や、行列などの範囲は大学入ってから更に重要になるのだから、もっとしっかりとやるべきである、ということだ。
大学に入ってみてわかったことは、意外にも多くの学生が高校の指導要領の内容ばかりの数学しか知らないということ。
前期の力学の授業など、(個人的には)当たり前に思っていた数学の表示について、質問する学生が多く少しショックだった。

最近、理論物理学に興味を持ち始めた。理論物理は勉強するべきことが沢山あるが、周囲の八王子組の友人や塾の仲間とともに切磋琢磨していきたいと思う。
頑張るぞ。

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