2021年元旦

新年あけましておめでとうございます。このブログの更新頻度はそう高いものでは有りませんが今後も皆様と様々なことを共有できますよう、可能な限り投稿を続けて行こうと思いますので今後とも何卒どうぞよろしくお願いいたします。

2020年を振り返って

希望を持っていた年末年始の休暇(〜1月12日)

2020年は特異な年であったことは誰もが等しく感じることでしょう。僕の2020年は実家での年末年始の休暇でスタートしました。2019年の年末に理化学研究所であった、翌年に行う実験の審査会というものに参加し、努力の甲斐や運などがあり、最優先で実験を行うべきだという評価を受け、2020年にいろいろと実験ができることを楽しみにしていた年始だったのを覚えています。一方で、ニュースで「中国で新型肺炎が〜」という報道がされているのを見かけ、不安に思ったことも覚えております。隣国のことだから、中国は衛生観念が日本に比べたら悪い面もあるから仕方ない、というような印象を持っているのかわかりませんが、ニュースを見る限り、他人事であまり気にしていないように思えました。しかしウイルスというのは細菌とは全く異なるもので、危険性を持ちうる、というのはあまり世の中には知られていなかったのでしょう。とはいえ、SARSやMERSなどのウイルスが広がった際には日本は水際で防ぐことができましたし、政府はなんとかやってくれるだろうと楽観視していたのもまた事実です。

ドイツ出張(1月19日〜2月29日)

さて、僕は年末年始を日本でくつろいだ後、イギリスに戻るやいなや数日でドイツ出張が始まりました。ドイツにあるGSIという歴史ある研究所の加速器を用いた物理実験が数年ぶりに行われ(これまでは新しい加速器の建設に向けて予算が集中され既存の施設での実験が一時休止していた)、その実験プログラムの一つが我々の研究グループが主導するものだったためです。上司夫婦の部下として唯一の”即戦力”として現場に立ちます。前年の10月頃から頻繁にドイツに出張しては実験の準備などをしてきてはいたものの、いかんせん初めての実験施設で実験を行うのはなかなかうまく行きません。「これは私の仕事ではない」といって全く手伝おうとしない割に文句ばかり言うような現場のドイツ人たちにも手を焼くものの、旧知の日本人の先輩等の支えもありなんとか実験にこぎつけることができました。しかし、古い加速器施設での実験、当然ですがトラブルは頻発します。雨漏りで加速器の電磁石を駆動する電源が燃えてみたり、技官の準備不足で真空漏れを起こしてみたり、また別の電磁石の駆動コイルから煙が出てみたり。しかも加速器のビームを反応させて作り出した粒子を実験室まで輸送するためのビームラインは、1mmよりも高い精度で細かくビームの位置を制御して100mも先に送らなければならないというのに、建屋が岩盤まで杭打ちをしていなかったというせいで長年の間に微妙な歪みが発生し、ビームを通すのに苦戦する、しかもビームの情報を得るための検出器を解析するためのソフトウェアは未完成。いままで理研の最新鋭の加速器(といっても稼働からもう10年以上たつが)で快適な実験をすることができた僕は、いかに温室育ちだったのかと苦しんだものです。とはいえ苦しみの甲斐あり、お世辞なのかよくわかりませんが、(一部のドイツ人を除き)現場の研究者の方々や共同研究者の方にも褒めてくださったのは、正直に受け取っても良いのかもしれません。とはいえ、実験が終わったのが誕生日の前日で、その後実験装置の較正データの取得等々もあり、ボロ雑巾のような誕生日を迎えたのを覚えています。なにはともあれ、30代に突入しました。

イギリスへの帰還と次の出張への懸念

ドイツの実験で完全に現世から切り離されていたわけですが、どうやら日本でもCovid19の感染が拡大し問題になっていること、またイギリス国内の初症例が、僕の職場であるヨーク大学の留学生によりもたらされたらしい、ということであまり他人事ではない状況になっておりました。うるう年の2月29日にドイツからイギリスに帰り、早速次の行動を計画する必要が出てきました。というのも2019年12月に承認された僕が主導する実験は5月に実施される予定で、その準備や同じ実験装置を共有して行う実験が3月末から4月にかけて予定されていたためです。3月上旬の地点ではイギリスよりも日本のほうが感染者数が圧倒的に多いという状況で、日本に出張に行けるのか、行くとしたらいつ行くべきなのか、判断が必要でした。ウイルスの拡大は指数関数的に進むものであり、片対数のグラフにあてはめると直近の増加傾向を見極めることができます。イギリスはフランスやドイツに比べて10日ほど遅れた増加をしておりましたが、増加の傾向は似たもので、急激な増加が見られることは明らかでした。一方で日本は増加の速度が緩和する傾向が見られたのもこの時期でした(下図参照)。

Covid19の新規感染者数のグラフ:アメリカ、EU、イギリス、日本を比較(画像出典:Financial Times

直属の上司や、他の身近な教授陣などとも雑談の中で様子を伺いつつ、当初は3月下旬から日本へ出張する予定だったものを一週間早めることに。その間もイギリスでの感染者数はうなぎのぼりで、隣の都市の大学では出張が取りやめになったなどという噂を聞きながら、不安とともに過ごしておりました。

日本で“隔離”生活(3月13日〜6月3日)

イギリスを飛び立ち日本へ向かったのは3月13日の金曜日のこと。既にCovid19は世界中に飛び火し国をまたいだ移動が一気に減ったタイミングでした。飛行機はガラガラでエコノミークラスなのに横になれる快適さを味わってしまいました…。予想通りではありましたが、ヨーロッパやアメリカでのCovid19の感染拡大の速度は凄まじく、間一髪で日本に「避難」した形になりました。現に、僕の所属するヨーク大学は僕の出張の直後に「出張禁止令」を出し、また同時に受け入れ先の研究機関である理化学研究所も翌週には海外からの研究者の受け入れを停止しました。数日遅れただけでアウトだったと思うと本当にギリギリでした。

理研は大学院時代に過ごした(?)研究所なだけあって勝手はわかっているところもおおいですが、とはいえ今回はヨーロッパやアメリカの研究所から数億円相当の検出器を複数お借りして日本で実験しようという重要プロジェクト。僕も新しい知識を得ようとしつつ、まずは僕が一番得意とする、ビームラインにある複数の検出器のデータ取得回路周りの調整を行います。いつもより高頻度で効率よくデータを取得できるようにと、新しい制御回路を入れてみたりといくつか改善を仕込んでいきました(この改良は後に役に立てたのでOK)。

いよいよ3月下旬より実験!というところで日本も非常事態宣言へ突入する見込みとなり、実験を延期するということになりました。とはいえ延期であって収束し次第実験をしよう、ということで、まだ期待があったところかと思います。理研としては最低限実験装置や実験に用いられる動植物の管理に必要な人材以外の入構を禁止としました。我々はローテーションを組んで欧米から借りている実験装置を冷やすための液化窒素の補充の管理をするために出入りを続けるものの、なにか生産的なことができたわけではありません。

今回は研究所の宿舎ではなく、マンスリーマンションを借りていたため、緊急事態宣言下での生活はまだなんとかなりました。でも、日本に出張しているのにリモートワークしているのは不思議でした。本来ならば理研で実験して素晴らしいデータを取れていたはずなのに…と悔やむところではありますが、2月にドイツでやった実験のデータの解析を予定より早く取りかかることができたと思うことにします。とはいえまだこの当時は「新生活様式」に慣れたとは言い切れないものもありますし、なによりマンスリーマンションの最低限の家具ではゆとりのある生活というのはなかなか難しくストレスが知らず識らずのうちに溜まっていたようにも感じます。

自主隔離期間が明けるのに先駆けて、理研では加速器の稼働に向けた準備が始まっておりました。6月になれば実験ができる、というのを楽しみにマンスリーマンションでの生活を続けておりました。しかし、運命というのは思い通りにいかないもの。今度は加速器側のトラブル(一番古い初段の加速器の冷却水漏れ)により修理には1ヶ月近くかかるとのこと。しかも理研が契約する特別高圧の電力では夏場に電気代が高騰するため7月には実験が行えない。このため延期されていた実験もすべてキャンセルされるということになってしまいました。当初計画では6月中旬まで日本にいる予定だったのですが、フライトを変更して6月3日にイギリスに帰国することになりました。

今回の日本滞在では基本的に他者と接触しないようにすごしていたため、家族とも数回会うのみで、日本にいながらにして友人に全然会えない孤立した日々でした。とはいえ、唯一帰国直前に幼馴染と会うことができ、行きつけの(知り合いが営んでいる)とんかつ屋さんでカツカレーを食べられたことがなによりの思い出となりました。あとは、渋谷駅の埼京線のホームが移動した直後に渋谷駅を見に行けた事ですかね。

帰国の際に利用した羽田空港やフライトはガラガラでした。

ロックダウンが開けた夏のイギリス

時を同じくしてイギリスもロックダウンが徐々に緩和された時期でした。帰国した日あたりからレストランなどの営業が再開されたようで知人たちはやっと楽になったと口にしておりました。自分はイギリスの一番厳しい時期を逃げて過ごすことができたのだ、なんてのんきに考えておりました(なお既に同僚数名はCovid19にかかったという話を聞く)。一方で、まだ日本より感染者数が多い状況でロックダウンを緩和したところでまた冬には覚悟が必要になるだろうな、というのは強く意識しておりました。

とはいえ、僕の職場は基本的にはリモートワークを義務付けており、大学に行かねばならない用事がない限りは在宅勤務となります。一人暮らしなため、他者と話すタイミングはZoomでの会議などとなります。流石にこれではいけないと、今まではそんなことしたこともなかった(なぜならTwitterとかこのブログで常に近況報告をしていたので、直接会話する必然性を感じていなかった)というのに珍しく(?)両親と毎週末にZoomでお喋りをするようになりました。ヨークに住む同僚や日本人の知人とパブの外のテラス席で飲んだりご飯に行ったりとする機会もありギリギリ精神衛生が保てていたように思えていました。

ただ、8月に入ってだいぶ精神的に辛くなってきました。というのも、7月中旬から夏休みシーズンに突入し、同僚や上司と気軽に話す機会が減っていきましたためです。意外と驚いたことは、上司が夏休みになった途端に仕事の能率が落ちたことです。定期的な近況報告をするタイミングがないだけでなく、上司と雑談ができないことが、ここまで精神的に負担になるものだとは思いもしませんでした。そんな話を後に上司にしたら、「こっちも休みだけど連絡とれるんだから、つらくなったら雑談したいって言ってくれればZoom越しにジントニック飲むとかできるから気軽に誘ってよね!」と言ってもらいました。なんかよくわからないけど、上司とは出張先とかで二人でお酒飲みに行っておしゃべりできたりできるちょうどよい距離感があって、仕事面でも信頼してもらえているようだし、僕もいろいろと信頼しているんだなあと実感しました。まあ、その後一度も「ジントニック」で連絡したことはないんですけどね。

8月にメンタル面でだいぶ辛くなりましたが、上司が休暇から戻ってきて少しはマシになりましたが、とはいえ仕事の能率が思ったより上がらず、このままではいけない、という危機感がありました。もともと、イギリスは年度の切り替わりが9月末にあり、またそれまでに有給を消化しなければなりません(10日分だけ翌年度に繰越はできますが、それ以外は消えてしまいます)。有給を三週間まとめて取得して、日本に完全プライベートで帰国することを決意します。

再び日本へ(9月25日〜10月19日)

Covid19もインフルエンザ同様に冬場になると感染が拡大することは予期できたことでもあります。そうなってほしくはないと思いながらも年末年始の時期から翌年の3月にかけての冬場は世界中で大流行する可能性はあるだろうと言うのは覚悟せざるを得ない状況でした。そのため、僕の中では12月に帰れないという可能性も覚悟し、その分10月は思いっきり楽しもうと決め、休暇をとることにしました。とはいえ、帰国の翌日から数えて14日間は自主隔離が要請されるため、三週間強の休暇とはいえ自由に使えるのは一週間程度です。

詳しくは、一時帰国の際のブログ記事に書きましたが、始めの二週間はairbnbでの自主隔離生活です。とにかく、イギリスからウイルスを持ち込んだなどと思われたくないし、短い実質一週間の休暇を楽しみたいので本当に気をつけて隔離生活をおくりました。

両親は、コロナの感染が減っていないから、と当初は渋っておりましたが、今行かないと冬場は到底旅行なんてできない状況になる、という説得も理解してくれ、家族で温泉旅行をすることが実現しました。関東圏の温泉宿も検討しましたが、やはりGoTo人気なども有り関東圏は人が多く密な状況がみられました。とにかく何事においても逆張りをするのがモットーなので、遠くの温泉に行こう、ということで由布院へ行くことにしました。由布院を決めた理由の一つは、この夏の豪雨により由布院への重要なアクセスルートである久大本線が被災し列車の運休、さらにはCovid19のせいで二重苦になっているであろうことが予想され、すこしでも応援してあげたいという気持ちもありました。結果的には大変よい息抜きとなり、イギリスに帰った後も研究の効率が大幅に回復したのを実感しました。休めるときに、計画的に休むことって本当に大事です。

冬のイギリス・再ロックダウン突入へ

実はは3月より日英間を行き来しておりましたが、結果的にはCovidの感染拡大に応じて双方に移動することでCovidから「逃げて」過ごしていた形では有りましたが、いよいよCovidの感染拡大するイギリスでの生活を覚悟する必要が出てきました。これまで以上にリモートワークの環境を整え、週末は家事をしつつ、積極的に研究と関係の無いことをするなど気分転換に充て、精神的な安定を目指してきました。(Mental Wellbeingと言ったりする。)

朝起きたら仕事場まで徒歩10秒の距離にあるため、週に一度程度行くお買い物以外で家を出る機会が減り、運動もまともにせず、体重は健康的に(?)減って行きますが、なによりも精神的な安定と仕事等の効率を両立させることが重要なため、今は体力を犠牲にする形になろうとも、一人でリモートワークを継続する上では、これがベストだろうと言う生活ペースを調整できるようになってきました。研究とは関係のない仕事も増えるようになり、忙しい日々はより忙しくなる一方ではありますが、研究者たるもの、結局は頭を使うことが本業である以上、精神面でいかに安定させることができるか、それにかかってくることと思います。

新学期になり新しい学生も入ってきて、いよいよ複数の学生のプロジェクトを同時に面倒を見るようになり、仕事面では自分の力量を超えてしまっているように感じる状況になってきました。仕事が飽和してしまうとなにも進まなくなる状況に陥りかねないですが、上司からは、これから偉くなっていくと同時にすすめる能力が問われるようになる。これをよい機会として沢山のプロジェクトを管理できるように取り組みなさい。と励まし(?)の言葉をもらいつつ頑張る日々です。慌ただしく過ごしていたら年末になりました。

2021年はどういう年にしたいか

研究面

2020年は研究の面では苦難の連続でした。ドイツの研究所での実験での苦しい日々しかり、理研での実験がキャンセルされ、2021年移行に延期(しかしそれも実現可能性が低くなる一方)という事態で正直あらたな実験データの取得をすることができないと思うほうが良い状況になっています。しかし、幸運なことに、2月にドイツで実験ができたことは価値のあることです。(そして今、ヨーロッパの複数の大学の共同研究者たちから、学生のためにデータを分けてくれ、とせがまれ、そのたびに上司がいろいろ議論をするというような状況になっていることを鑑みるにそもそも解析するデータが無くて困っている人は沢山いるようにも思える。)ドイツでの実験データの解析はなかなか単純ではなくまだすぐにどうにかなるものではないため腰を据えてしっかり取り組んでいきたいと思うのですが、同時に、自分の研究室の学生さんたちの研究の中にはよい結果にまとまりそうな状況のものもあり、また僕自身いくつか小さい論文の芽となりうるものが他にもあります。2020年は「とにかく物事を前にすすめる」という気持ちで必死にやってきたところがありますので、2021年は「プロジェクトの数が増えすぎて手に負えなくなる前に小さなプロジェクトからどんどん論文にして完成させていく」ということを目標にしていきたいと思います。というのも、博士号を取得した後、一研究者としての現在のうちに研究成果を出すことは、今後新しい研究職探しをしたりする上でも重要となるからです。幸いに上司は、どんどん前に進むことを励ましてくれますし、イギリスで研究員のポジションを取れるようにと申請書を書くのもやっていこうと提案してくれています。現在の職場における研究員のポジションは当初、任期が2021年の4月末までということでしたが、これまでの努力と今後への期待もあるためか延長されることとなり、もうしばらく腰を据えて研究活動を行えそうな見込みとなっております。詳しくは様々な状況が正式に整った際にご報告できればと思いますが、とにかく、今年は小さな論文でいいのでアウトプットを沢山行いたい、と思います。もちろんこのブログの記事を書くことも僕にとっては重要なアウトプット活動の一つであります。少しずつ、がんばります。

新しい取り組み

アウトプットの活動の一つとして、最近は動画でのアウトプットの可能性も考えるようになりました。6月に一緒にとんかつ屋さんに行った友人氏と一緒に、Youtubeで毎週一本を目標に動画をアップロードしていく活動をはじめました。彼は今、篆刻や書などを学んでおり、彼の膨大な情報収集能力により大量の動画が生成されております。僕は彼のお話をZoom越しに聞いて、時には質問をして、割と頻繁に撮り直しをお願いしつつ、動画を作成しております。一般的な大衆向けのYoutubeとは異なりますが、単なるセミナー形式というよりは、より彼らしい魅力的な語り口調(実際に動画を見てくださればと思います)があり、書に興味の無い方でも楽しめるようなものだと思います。僕は心地よく、自然に聞こえるようにと毎週収録後に動画を編集し、アップロードをしております。IT技術のおかげでイギリスにいながらにして日本の知人の活動をサポートできるのは楽しいことですね。自分の生活の負担になりすぎない程度で、この活動も継続できたら良いなと考えております。

なお、2021年辛丑(辛丑)にちなんで本日より三賀日に合わせ毎日動画を公開する予定です。編集大変でしたがなんとか間に合わせました。是非年始の楽しみとして、動画を見てくだされば幸いです。

余談

僕の2020年は366日と9時間でした。本当に大変な一年だったなあ。2021年は、その2020年での経験が活かされ、良い方向に発展できますよう、努力していきたいと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。今年も何卒どうぞよろしくおねがいいたします。